
B型就労継続支援施設 クロップコーヒー
ホームページ作成者:Jからのコメント
Jの自己紹介:私の作業内容は、PC作業です。
主にホームページ作成をしたり、パンフレット作成をしています。
私はこのホームページをするにあたり、コーヒーの勉強をしています。
コーヒーの歴史、コーヒー豆産地について調べました。
みなさんとコーヒーの知識を共有できたらと思っています。
それでは、ご覧ください。
コーヒーの歴史
カルディ伝説[エチオピア・アビシニア高原]
アラビア人のカルディという山羊飼いはエチオピアの草原で放牧生活をしていました。
ある日、気がつくと、自分の山羊が楽しそうに飛んだり跳ねたりしています。
そこで調べてみると、あたりに茂っている木になった真っ赤な実を食べていることが
わかりました。イスラム教の僧侶がカルディたちの様子を見て赤い実の不思議な力に驚き、
これを僧院に持ち帰り、仲間の僧侶たちにも食べさせたところ、甘ずっぱいおいしさに加えて
眠気がとれ爽やかな気分に。それ以来みんなすっかり魅せられ、魔法の豆として、密かに
愛用されるようになったと言います。
Jから調べてみてのコメント:豆ではなく、実からなっていたことに驚きました。現代では、
豆になり、焙煎をして飲み物として知られているコーヒーの
進化を感じました。
喫茶店のルーツ[煮出すコーヒーからドリップへ]
コーヒーは、初めは実をつぶして脂をまぜ、団子にして食用にしていましたが、その後、
実と葉を一緒に煮て煮汁を飲むようになり、ついで、実の皮と種子を天日で乾かして
使うようになりました。種子を煎って粉にして使うようになったのは13世紀頃からです。
Jから調べてみてのコメント:ドリップコーヒーという言葉は知っていましたが、煮出す
コーヒーは知りませんでした。調べたことによって、新たに
勉強になりました。
アラビアを起源にイスラム教全土へと広まったコーヒーは、1510年頃、エジプトの首都カイロに世界初のコーヒー店を出現させ、1554年には、トルコの首都コンスタンチノープル(Constantinople)に「カヴェー・カネス」という著名なコーヒー店を誕生させています。
Jから調べてみてのコメント:私の中で、コーヒーの国といえば、ブラジルというのがあったので
世界初のコーヒー店がエジプトであることは驚きでした。さらに
トルコの首都コンスタンチノープルがイスタンブールの前身である
ことが分かり、勉強になりました。
人々に受け入れられはじめる
伝来当初はコーヒーに対して拒否反応を示した日本人でしたが、開国して明治時代に入ると、
西洋文化の象徴であるコーヒーを積極的に受け入れようとする姿勢が見えてきます。
これは西洋文化を取り入れ、西洋人と積極的に付き合おうという日本人の文明開化への憧れでも
ありました。
そして長崎、神戸、横浜、函館などに次々に外国人居留地が作られて、そこで外国人から接待を受けたり、欧米諸国への使節や視察や留学などで洋風の食事を経験したり、横浜などに外国人相手のホテルが作られたりと、日本人が洋食やコーヒーを口にする機会はどんどん増えていきました。
それでも最初は、ほんの一握りの上流階級の人々の口にする、ハイカラな高級飲料の域を
出ることはありませんでした。
日本で最初の本格的コーヒー店は、日本人の鄭永慶が東京上野の西黒門町に開いた
「可否茶館(こーひーさかん)」という店でした。1888年(明治21年)の春のこと、アメリカに
留学し、帰国後に官吏や教育者を経てこの店を開いた鄭永慶(ていえいけい)は、文学者や
芸術家達が集うフランスの文学カフェをイメージしていました。しかし時期尚早で、残念ながら数年の後には閉店せざるをえませんでした。コーヒー文化と呼べるものが日本に根付き始めたのは、明治に終わりに近くなった頃でした。
大正時代になると、確実にコーヒー愛好家が増え、昭和に入ってますます需要を伸ばしますが、第二次世界大戦でコーヒーは『敵国飲料』として輸入停止になります。日本人の生活から
一時期コーヒーは姿を消してしまいます。
その後、戦後では昭和25年から輸入が始まり、コーヒーは「平和の使者」とばかりに、
人々を感激させました。
Jからの調べてみてのコメント:コーヒーが人々に受け入れられ始めてから、現在まで
コーヒーの需要は増えていると思うので、低下することなく
人々に受け入れられ続けてほしいと思います。
世界初のコーヒー店の誕生
エリプト・カイロ、トルコ・コンスタンチノープル
コーヒーの歴史(日本)
日本へのコーヒー伝来
初めて日本にコーヒーが伝わったのは、江戸時代初頭の長崎出島で、人々に受け入れられる
ようになったのは、明治時代になってからです。
西欧諸国ではコーヒーハウスが次々とオープンして、コーヒー文化と呼べる文学や芸術が開花していたころ、日本は江戸時代で、厳しい鎖国政策の真っ只中でした。本来鎖国とは、外国との交際がなく、国際的に孤立した状態をいうが、江戸時代の鎖国とは、日本人の海外渡航と在外日本人の
帰国を禁止し、対外貿易を長崎でのオランダ商館と中国船との貿易だけに制限した状態をいう。
そのため、外国人に接触できたのは、役人、商人、通訳、遊女などの限られた日本人のみ、
1776年(安永5年)に記された「ツンベルグ日本紀行」(山田珠樹訳・雄松堂書店刊)には、「二、三の通訳のみがようやくコーヒーの味を知るのみである」とあります。
Jからの調べてみてのコメント:現在でいうところの法律として鎖国というのができて
制限があり、接触できなかったことを考えると、現代は
接触してはならないという意味での法律はないので、
時代経過と共に、よくなったことも多いかなと感じます。